日常と虚構のワルツ

嘘時々ホント

七年

が過ぎた。

東京に来てからの話である。

 

東京の時間は激しい。

激しいとは具体的に何かと問われれば良くわからない。

とにかく激しいのである。

振動数がすごい。

東京の一分一秒は揺れている。

あるくおじさんたちも揺れていた。

道行くお姉さんたちも揺れていて、蠱惑的なボディも揺れている。

釣られて僕も一緒に揺れて、今日も東京はちょっとしたクラブ状態だ。

 

ドゥーン

キュワキュワワ

 

どこからかDJのスクラッチが鳴り響く。

今日も東京の夜は熱い。

観客たちが歓声を上げ、ホットパンツをはいたダンサーの女の子たちが激しく踊り狂う。

何て街だ東京は。

僕はそんな街で過ごしてもう七年になるのだ。

 

僕は間もなく36歳になろうとしていた。

 

このブログにはもうログインできないだろうと考えていた。

しかし試しにログインしてみたら意外と簡単にログインが出来た。

noteで記事を書くことは度々あった。

だが、どうもnoteは堅苦しく読み物にしないとダメなような気がしていた。

ブログの良さとはゴミみたいな文章でも誰も咎めない所にあると思った。

 

この東京での生活で僕の人生も変わった。

まずはプロの小説家としてデビューを果たした。

しかし売れてなさすぎてもはや小説家としても名乗るのもおこがましかったのであった。

先日は某出版社の謝恩会に参加させてもらった。

こんな広くて華やかなパーティーに参加するなんてさすが東京だなぁと思いながら僕は便所で飯を食った。

 

会社では出世して部下を持つようになった。

「軍曹! 今すぐ敵兵を殺させてください!」

そう叫ぶ部下たちを毎日食い留めるのが僕の役目なのであった。

お陰で毎日ヘトヘトになるまで働いているのである。

社畜も楽ではないな、などと考えた。

 

それからueというインストバンドを始めた。

気軽な趣味のつもりで始めたバンドはどんどん成長し、共演相手がXのフォロワー数2000やら3000やらの猛者になり始めた。

元々半端だった僕の演奏とは比べ物にならないほどうまい人達と共演する羽目になり、練習を余儀なくされている。

バンドをするといつも自分が自由に慣れた気がしたが、ここ最近は演奏の精度ばかり考えて鎖に縛られているような気持ちになる。

それでも鎖から解き放つことが出来た時、しんの自由を得るのだろうとか中二病みたいなことを考えた。

 

そんな記事を書いているとプップーと間抜けなクラクション音が外から響く。

何だろうと窓から顔を出すと、ハイエースに乗ったいかつい男たちが僕のアパートの前で僕の名前を読んでいた。

 

「行こうぜ坂、東京の夜は熱ぃんだ。夜はこれからだろ?」

 

そう、今日も東京の時間は激しい。

 

田舎の祖母

が死んだ。

90歳を越えていただろうか。

大往生だと思う。

 

特に何か感慨とか、悲しみとかあるわけじゃなかった。

あぁ……亡くなったんだ、とかそのくらいの気持ちだった。

冷たいかもしれないが、歳も歳だったし、僕は一人暮らしして6、7年経つ。

看取りに入っていたこともあり、ある程度覚悟もしていたし、それなりに疎遠になってもいた。

僕の中で、祖母の存在は希薄なものになっていたのかもしれない。

 

 

祖母とは僕が高校生くらいの頃から同居していた。

ドクターワイリーと酷似した髪型をしており、顔も少しドクターワイリーの面影があった。

ドクターワイリーとはカプコンから出ているゲーム「ロックマン」シリーズの敵キャラである。

髪型と眉が特徴的な男である。

そんな男と祖母は似ていた。

外見だけ。

 

 

子供の頃帽子屋さんを手伝っていた祖母は、大人になって帽子屋を服屋に変え、経営者をしていた。

少女時代から工場勤務なども経験していたらしく、何かとお金の工面には大変苦労していた、というような話を100回くらい聞かされた記憶がある。

 

そんな祖母は僕が高校生くらいのころ、祖父が亡くなってから徐々にボケ始めた。

知り合いにお金を盗まれたとか、通販で大量にものを買ったりだとか、金銭関係のトラブルがよく起こった覚えがある。

そのうち、火を止め忘れて火事になりかけたりして、一人暮らしが困難と判断し、同居することになったのだ。

 

一緒に暮らしたのは7年くらいだろうか。

ただ、祖母との間には、それほど思い出があるわけじゃない。

その時もう祖母はボケてしまっていたし、僕が幼少期の頃も、別段どこかに行ったり遊んでもらったりという記憶はあまりなかった。

 

 

僕が祖母との思い出で唯一覚えていたのは、株の話である。

 

 

「坂ちゃん、あんたもう株は持ってるんか」

 

ある日祖母が突然そんな話をしてきたのだ。

その時僕はもう社会人だったのだが、株なんて持っていなかった。

 

「別に持ってないけど」

「そうか。それやったら、おばあちゃんの株一つ上げるさかい。おばあちゃんはたくさん株を持ってるからな。一つや二つやあらへんねんで」

 

祖母はそう言ったが、実はその数ヶ月前に、諸事情により母が売ってしまっていた。

祖母が持っている株は、一つを除いてすべて売り払っているはずだった。

もちろん本人に了承は取ったのだが、すでに忘れているらしい。

 

「いいよ、株なんていらないよ」

「何いってんのやアンタ。こういうのはな、黙ってもらっとけばええねん。おばあちゃんが持ってる株はな、一つや二つやあらへんねんで」

 

持ってる株は一つだ。

 

「僕に株はもったいないよ。おばあちゃんが持っておきなよ」

「何言うてるんや。ええからもらっとき。一つや二つやあらへんねんで」

 

一つだ。

 

 

そんな感じの祖母だったが、晩年はずっと施設に入りっぱなしになっていた。

それまでは父と母が面倒を見ていたのだが、いよいよ自分の身の回りのことがまともに出来なくなり、家庭での生活も困難になってしまったのだ。

 

三人の子供を育て、ひ孫にも恵まれた祖母は、晩年何を思っていたんだろう。

 

人の一生は儚いなと思った。

祖母が亡くなった状況はわからないが、恐らくは施設の方に見送られたのかもしれないし、家族が間に合ったのなら皆に見送られたのだとおもう。

 

僕は一体、どういう死に方をするんだろう。

家で酒を飲んで死ぬのかもしれないし、ストーブをつけっぱなしで寝てしまって燃え死ぬのかもしれない。

誰かに発見されればまだ良いかもしれないが、どこかで野垂れ死ぬ可能性だってある。

二十代の頃に比べ、色んなものが成熟するとともに、感性が死ぬのを感じていて、もう若くはないんだな、と漠然と感じる。

 

祖母の葬儀は今日行われる。

僕は残念ながら数日後に帰省するため、葬儀には間に合わないのだが。

家に帰ったらお線香をあげておこうと思う。

 

買い物に行った時

不意にお好み焼きが食べたいなと思った。

どうしてお好みを食べたくなったのか……それはわからない。

 

でも、多分。

昨日、何も食べてないからだろうな。

そう思った。

 

お好み焼きは不思議だ。

お好み焼き粉に、卵と出汁と野菜を混ぜる。

そして、焼く。

すると……美味しい。

 

一口お好み焼きを食べて僕は気がついた。

僕は、お腹が減っていたのだ。

それは驚くべきことだった。

すべての謎が溶けた瞬間だった。

まさお腹が減っていたとは。

たしかに昨日何も食べてないですけども。

まさかお腹が減っていたんて。

 

そんなばかな。

いやまさか。

だがしかし。

それでもなお。

 

お好み焼きは美味しいのだ。

 

お好み焼きが美味しいのか、空腹だからお好み焼きが美味しいのかはわからない。

そこに因果関係があるのかわからないし、この世界は弱肉強食ですしおすし。

お寿司も食べたい!