日常と虚構のワルツ

嘘時々ホント

忘年会

だった。

弊社の会社での忘年会である。

会社で忘年会をするのは数年ぶりだった。

 

色々仕事が溜まっていたがもはやうるさすぎて仕事どころではなかった。

適当に切り上げて帰ろうとしたら、弊社の代表にもう少し明るくなるよう説教を受けた。

しかしながらそれは少し違うのではないかと思った。

なぜなら僕に暗いと言うことはブラックホールを見て「くらいな…」というようなものだからである。

 

ブラックホールはとてつもない引力を持っている。

光すらも吸い込むほどの引力である。

そのようなブラックホールを眺めて「くらいな…」などと呟くのはナンセンスなのだ。

電気を消して「わっ、暗っ!」というようなものなのだ。

暗くて当然なのだ。

 

終電ギリギリまで説教をされて僕は自由について考えた。

自由とは空を飛ぶようなものなのだ。

青い空には沢山のあこがれがある。

しかしながらそこには危険なものも沢山あるはずなのだ。

そう、例えば空飛ぶ円盤とか。

 

そう言えば僕はUFOを見たことがある。

そう、空飛ぶ円盤を実際にこの目で見たのだ。

あれは京都の河原町での事だった。

僕が三条大橋で独り黄昏れていると、ふと空を見上げた。

どうして空を見上げたかは分からない。

呼ばれた気がしたから…とか書いたらそれっぽくなりそうな気がした。

そう、僕は呼ばれた気がしたのだ。

 

空を見上げるとUFOが浮かんでいた。

本当に円盤で、内側にあるライトがくるくる回転していた。

ドローンなどがまだ普及していない時だったから、少なくともドローンではなかった。

あれは確かにUFOだったのだ!

 

僕は周りの人を見た。

誰か一人くらいはUFOに気づくのではないかと考えられた。

しかしながら誰もUFOには気づいていなかった。

「なんてポンコツな奴らだ!」と僕は思った。

 

仕方なく持っていた携帯でUFOを撮影しようとした。

しかし上手く映らない。

撮影が下手だったのかも知れないが、とにかく取れなかった。

「なんてポンコツなカメラだ!」と僕は思った。

 

するとUFOはシュン! シュン!と瞬間移動するように場所を移すと、やがてフェードアウトするように消えてしまった。

あれ以来UFOは見ていない。

次に見かけたら必ず写真に撮ろうと思う。

しかしながらこのフェイク画像が入り乱れる昨今、だれがUFOなんて信じるのだろうか。

 

そんなことを考えているうちに最寄り駅へとたどり着いた。

自由について考えていた思想は消えた。