羽蟲をゴキジェットで撃退した。
しかし地面に落下した羽蟲は不意に姿を消したのだ。
奴はいる。この空間に、確かに。
僕の中に緊張が走った。
この様な緊張は軍曹以来だった。
軍曹とは皆も知ってのとおり、アシダカ軍曹その人である。
正式名称はアシダカ蜘蛛。手のひらほどのサイズで素早く動き、いともたやすく害虫を食べてしまう。
軍曹はまだ僕が実家で生活している時、布団の上に突如としてやってきたのだ。
「落ち着け、坊主」
軍曹は渋い声でぼくを諭す。
「俺は味方だ」
味方? そんな大きい蜘蛛が味方なものか! 僕は叫んだ。
だが軍曹はペースを乱さない。
「落ち着け、坊主。大人にしか出来ない仕事がある。俺はそれをやりに来た。お前はただ、俺の仕事を黙ってみていれば良い。オーケー?」
「お、オーケー」
「よし、良い子だ。おまけに小話をしてやろう。赤いバケツを持った男の話だ」
話してみると軍曹はとても良い蜘蛛だった。彼の大人な会話に僕は魅了された。
「さ、今日はここまでだ。そろそろおねんねしな、子犬ちゃん」
「バウワウ」
軍曹のおかげで不安な夜もぐっすり眠りにつくことができた。
次の日起きると母が物凄い声を出していた。
「キエエ! キエエ!」
「何やってるの、母さん」
母は何かを一生懸命新聞でぶん殴っていた。
見なくてもうすうすそれが何かは気づいていた。
「ぐ、軍曹おおおおおおおおおおおおおおお!」
僕は叫んだ。
こうして軍曹は死んだ。
きっと天国から、今も僕を見守っているに違いない。
軍曹、僕は今も、元気にやっています。
それはそうとして、羽蟲の死体、みつからず。